6/25/2013

家庭裁判所にて考えたこと(松本)

 高松家庭裁判所にて、調査官のみなさんの研修会に講師としてでかける機会をいただきました。
 主に話をさせていただいたのは、3歳頃から学童期の子どもたちの発達と、そこから考えられる親子関係のありようについてです。

 調査官の方々が取り扱われる大切な問題の一つに、いわゆる離婚に関わる紛争への対応、ということがあります。
 もし、そのような問題と直面したとき、幼児期から学童期の子どもは何を感じ、考えるのでしょうか。

 もちろん、両親の紛争が即、直線的に子どもの発達にマイナスの影響を及ぼすとは言えません。
 事情はそれぞれ。多様なケースがあるでしょう。

 いっぽう、両親のそのような姿を目にした子どもが、たとえば「お父さんとお母さんが仲が悪いのは自分のせいだ」のように考えてしまうことがある、といったケースも少なからず耳にします。
 なぜ、そのような思いがめばえることがあるのか。
 幼児期後半、5歳後半ころからは、言語的思考の深まりに伴い、子どもなりに自分自身を見つめ始める時期であることが知られています。ただしいっぽうで、このころから学童期前半までは、たとえばそれを他児の家庭環境と比較するなど、相対化して把握するための抽象的な思考力は未発達の時期です。
 自分を見つめる視点は獲得されはじめるが、いっぽうでそれを、周りとの関係の中で把握することはまだ難しい。そのような発達的特徴が、大人の態度の変化を「私の何かが悪いのかな?」と捉えてしまう思考として、ときに表れることがあるのでしょう。

 そうなったとき、子どもが自らの力だけで視点を変えることは容易ではありません。そんな場面で、ニュートラルな立場から、「悪いのはあなたではないよ」というメッセージを、誰がその子に届けることができるか。
 近年、たとえば小学校の先生方は、保護者の様子をはじめとする、家庭の状況を掴むことが難しくなっているということを耳にします。
 そんな現代の状況を考えたとき、子どもにフェアなメッセージを出せる貴重な大人の一人として、家庭裁判所調査官のみなさんの役割は、よりいっそう大切になっているかもしれません。
 熱心な調査官のみなさんとやりとりしつつ、そんなことを考えました。
 
 考えてみれば、裁判所に足を踏み入れたのは、子どもの頃の社会科見学以来かもしれません。
貴重な経験と考える機会を与えていただき、ありがとうございました。
 私自身も、もう一歩深めて考えていきたいと思います。

6/12/2013

芸術士と、運動会と、カンボジアと(松本)

 先日の記事で触れました、保育所・幼稚園に派遣されている芸術士のみなさんとのミーティングの様子について、以下の芸術士のウェブページでも紹介いただきました。

http://geijyutsushi.archipelago.or.jp/?p=2877

 保育における「運動会」のことを考えるとき、青年海外協力隊員として、カンボジアの保育現場で運動会にチャレンジした教え子、むぅさんのことをいつも想い出します。
 走る、とはまっすぐ走ることだけではなく、いろいろな楽しみ方がある。「遊び」の先には学びがめばえることを伝えたい、何より体感してほしいと考えたとき、きっと「運動会」というイベントを工夫することが最適の教材だったのだろうなと。
 ここからは、保育における「遊び」と「学び」の特殊な関係を乗り越えるうえでは、大人から子どもへのダイレクトなメッセージではなく、教材や活動の工夫が鍵となることを改めて学ぶことができるように思います。

 そういえば、彼女が学生時代、グループで取り組んだ卒業研究は運動会を扱ったものでした。人生、どこで何がつながるかわからないものです。

 カンボジアでの彼女の奮闘の記録は、岐阜県の「ぎふ国際協力大使からの便り」のページから読むことができます。よければ、こちらも、ぜひ。(No.9より前のあたりです。)
http://www.pref.gifu.lg.jp/kurashi/kokusai-koryu/koryu/jica/kyoryokutaishi/

6/09/2013

手が届きそうな「保育づくり」を目指して(松本・松井)

 少し時間が経ってしまいましたが、日本保育学会第66回大会(2013.5.11-12. 中村学園大学・中村学園大学短期大学部)にて、附属幼稚園の先生方と一緒に、以下のタイトルで研究発表をしてきました。

松本博雄・松井剛太・西宇宏美・九郎座仁美・水津幸恵 2013 幼児の学びから立ち上げる計画と保育づくりに関する研究 ―ラーニングストーリーを試行して― 日本保育学会第66回大会発表要旨集, 597.

 幼稚園や保育所における保育実践は、教科ではなく「領域」という枠組みを用いて、「遊びを通じての総合的指導」による学びの成立を目指す営みであると言われます。よって、“よい”保育実践とは何か、言い換えれば保育の「質」を検討するうえで、「遊びの質」とそれを介して生じる子どもの経験を問うことは欠かせませんし、そのための具体的な手立ては、保育をつくるうえで必須のものとなります。
 いっぽう、この種の問題を考えるうえでもう一つ鍵になるのが、保育実践とは、非常に多くの保育者によって担われているという事実です。つまりそれは、力量ある一部の実践者が担うことのできる“正しい”手立てを追求すること以上に、多様な保育環境を背にしている保育者が、ひとりでも多く実践できるような手立てが求められるということに結びつきます。
 そのような観点をふまえ、今回の報告では、ニュージーランドで用いられている「ラーニングストーリー」を参考にアレンジした方法で、私たちなりの保育づくりのありようを考えてきました。
 保育の記録と計画において、世界的に見れば「個」の変化に焦点をあてたそれが多いいっぽう(ラーニングストーリーもその例外ではありません)、「クラス」を単位としたそれが積み重ねられてきた歴史があるのは、日本の保育の特徴ではないかと思います。これらをどのように交錯させていけるのか。さらには私たちのこれからの保育にどのように結びつけていけるのか。研究グループの課題として、引き続き検討していきたいと思います。

6/01/2013

子どもの「発見」を支える(松本)

  昨日、NPO法人アーキペラゴにて、芸術士の方々とのミーティングにお邪魔してきました。
  「芸術士派遣事業」とは、香川県高松市の事業として委託を受けたNPO法人アーキペラゴから、市内の保育所・幼稚園・こども園等に定期的に派遣されるアーティストが、保育者とともに保育をつくる活動で、2009年より実施されています。
  詳しくは次のWebpageを参照ください。

  芸術士の大切なミッションは、保育をつくるとともに、子どもの姿を記録する「ドキュメント」を作成すること。
  よく伸びる紙粘土で遊んだある日の、次の一枚をご覧ください。



  ハサミがなかったから、鼻と口の間で「半分こ」した4歳児のYちゃん。
  仮に「何で?」「何のために?」何て聞かれようものなら、きっと本人だって絶句しちゃうにちがいないけれど、子どもを導くという使命感の中での、できるーできないのまなざしからは見えにくい何かを取り上げてもらい、ちっちゃな発見の背中を押してもらえる人生は、「豊かさ」そのものだろうなと実感します。

  保育の原点は遊び。遊びとは楽しいもの。
  楽しさの中で発見できた経験は、自ずと次の発見と探求につながっていく。
  そんな魅力に、改めて立ち返らせてくれる芸術士派遣事業の取り組みを、これからも応援していきたいと思います。