6/22/2016

2016.6.21 ゼミ

失礼します。
松本ゼミ3年のあやかです。

今回の15分先生では、さき先生が「ぽんぽんあじさいスタンプ」を紹介してくれました!

梅雨の季節にぴったりのかわいいあじさいをみんなで楽しく作ることができました。
むらさきや青だけでなく、ピンクの絵具も用意されており、いろいろな色のスタンプを押していくうちに、本当はあじさいって一色だけじゃないんだなと改めて感じました。

また、月齢の低い子に対しては画用紙の葉っぱが用意されており、うしろのテープは少しはがして、子どもが自分ではがしやすくするという、小さな配慮もありました。クレヨンもあったので、思い思いにカエルやカタツムリ、雨粒なども描いていました。

乳児さんだったら、ぽんぽんとスタンプを押すこと自体が楽しいと思うし、幼児さんや私のような学生だったら、作品を作ることに夢中になると思います。
満足する作品ができて、本当に楽しかったです!

また、よしかさんややすはさんは、画用紙全体にスタンプを押して大きなアジサイを作っていたり、のぞみさんは、画用紙全体にスタンプを押して、一部を切り取ってアジサイを作っていました。同じ道具を使っているのに、様々な表し方や遊び方があり、とてもおもしろかったです!
ありがとうございました。





6/16/2016

2016.06.14 ゼミ


松本ゼミ、3年のねねです。

今回の15分せんせいでは、あやか先生がみんなであそべる〝おさかなつり〟を作ってきてくれました!



今回の15分せんせいで考えたことを3つ書きます。



①今回、あやか先生はおさかなさんたちを、牛乳パックで作っていました。水に浮かせられることはもちろんですが、子どもたちが手で握ってしまっても破れにくい素材でとてもいいと思いました。絵を油性ペンで書くこともポイントだと教えてくれました!



②竿を2つ用意してくれていました。1つはトイレットペーパーの芯に新聞紙を詰めたもの。もう1つは、割り箸を2本で1セットにしたもの。どちらも子どもたちが力を加えても大丈夫なように、補強されていて、可愛いテープで装飾されていて、細かいところまで手がこんでいるなぁと感じました。



③みんなで実際に釣りをしている最中に、「乳児の遊びであるこのさかなつりの竿にひもは必要なのか」という話になりました。実際にやってみて、確かに私たち大人でも竿の先についた紐を思い通りに動かすことは簡単なことではないと感じました。紐を短くしたり、竿の先自体に磁石を付けたりしてもいいかなという話になりました。



〝さかなつり〟といえば、魚を釣らないといけないから、竿に紐を!!というのは私たち大人の考え方なのかな?と思いました。実際に、あやか先生のさかなつりをするまではそんなことを考えたこともなかったし、実際に自分がやってみて、乳児には少し難しいなって感じて、それをゼミの皆さんと話し合えたからこそ、気づけたことです。



最後に……

あやか先生の絵のセンスはハイクオリティー

さすがでした。







6/08/2016

2016.6.7 ゼミ

本当は松井ゼミですが、、、
前期だけ松本ゼミに参加させて頂くさきです!
昨日のゼミの15分先生ではねねちゃん先生による
「ひんやり寒天で遊ぼう」でした。
ひんやりとした寒天を触ったり、ぐにゅぐにゅ握ったり
何とも言えない気持ちよさに夢中になって遊びました。
また色もカラフルなので視覚的にも楽しめました!
型抜きや透明カップなども用意されていたので
乳児の遊びですが月齢の大きな子も楽しめる
遊びだろうと思いました。



6/01/2016

社会科学研究における英語と母語(松本)

台湾での講演を無事終えて、日曜に帰国しました。
研究や教育に関わる内容で感じたことや得たことはもちろんたくさんあるのですが、それとは別に一つ、あらためて考えさせられたことに、とくに社会科学の研究を進めるうえでの母語の大切さ、ということがあります。

講演は、専門の通訳をつけていただき、中国語に翻訳してもらいました。
英語か日本語か選んでok、ということだったので、それはもちろん!日本語に。
講演の内容は、日本の保育を紹介する内容を付け加えた以外は、いつも日本での講演で話している内容とそう変えずに。
直前まで悩んだのですが、保育現場の事例やエピソードも、ほぼ、いつもどおり話してみることにしました。
いつもと違うのは、日本語のスライドを示しても仕方ないので、スライドは英語で作ったことです。
英語のスライドを見ながら日本語で話し、中国語の通訳を介して質疑応答するという、ハイブリッド!?伝わればなんでもこい!?状態。はじめににわか中国語で挨拶して、本番に臨みました。

ありがたいことに、こちらの意図した内容は、おおむね伝えることができたようです。
一方で、日本語が得意な一人の学生のおかげで、事例や質疑応答の内容のいくつかが、違うかたちで伝わっていたことを知ることができました。
たとえば「園でカエルを飼う」が、カエルの絵を描く、になっていたり、「鼻と口の間に力を入れてネンドを切る」が、歯磨きをする、というような表現になっていたり⋯⋯。ああ、痛恨⋯⋯。
でも、どちらも保育現場に馴染みがなければ(特に後者は保育現場に馴染みがあっても)、通訳しにくいのは無理もないと思います。
背景となる文化が異なれば、事例に共感することは難しいかも、という迷いもあり、事例の内容を事前に通訳の方に送れなかったので、致し方ないかと。通訳の方は、とてもよくやっていただいたと思います。そして同時に、もう一人日本語のわかる子がいたことで、誤訳がわかり本当によかったと思いました。

講演前は、プロの通訳を介して、ゆっくり話せば伝わるのではないか、と、特に意識することなしに思っていたのですが、実はそれはそう簡単ではないことを自覚しました。また同時に、翻訳を介して我々に伝わっていることも、それなりの程度のズレを含んでいることを認識する必要があると改めて感じました。テレビでよく見る、俳優やスポーツ選手・監督、政治家などのインタビューもしかりです。

台湾で出会った大学生の語学力は、おおむね私の周りの大学生たちと近いです。
英語については、帰国子女でだいぶ流暢な子も若干いますが(彼女にはかなり助けてもらいました)、シャイで全く話そうとしない子、いつぞやの私のように、チャレンジするものの力がついていかずもどかしそうな子……と様々です。
ちなみに教員の英会話力は、私よりずっと高い方が多い気がしました。(そりゃもちろん!) アメリカの大学院の学位をもっている方も多いみたいです。

というわけで講演以外の場面では、英語がわかる方にはいつものインチキ英語で直接、もしくは日本語が得意な彼女を介したり。相手が複数のときは、おおむねインチキ英語で。中国語のみの相手には、日本語や英語を介してやりとりしました。挨拶と自己紹介だけは、何とか中国語で。

そうやって改めて感じたのは、やっぱり母語はかけがえのないものだし、相手のそれがわかると、見えてくる世界がきっと変わってくるだろうなということです。
たとえば英語圏以外であっても、英語を介することで、ある程度はその国や地域の状況を把握できるでしょう。
いっぽうで、それらの国や地域において、英語が相当程度使いこなせる人たちは、その国での経験や階層という点で、限られ偏った存在であるということも事実かもしれません。
英語を知っている=その国や地域のことを(言葉も含め)よく知っている、とは限らないということなのだと思います。

照れもあって、直接こちらに話しかけるのを躊躇してはにかむ学生達。
夜市の片隅で、うちわ片手に香港映画さながらに佇んでいるバアさん。
こちらを見上げ、笑顔に笑顔で応えてくれる子どもたち……。

母語が理解できれば、きっとこの人たちの思いにももう一歩迫っていける。
その時に描ける世界は、また異なるものになるだろうと強く感じました。
自然科学研究のように、数式という共通言語を持たないからこそ、できるだけ多くの人に迫れる母語を直接汲み取り、そこに向けて発信できるかが、社会科学においては研究や実践の肝になっていくのだと思います。

なんだか長くなりました。
施設訪問や講演のことは、またいずれ、もう少し体の疲れが抜けた頃にします。
 

素敵な賞状?をいただきました。
漢字文化圏&繁体字なので、ある程度意味が分かる気がするのが嬉しいです!