12/31/2014

新年の準備(松本)

 しばらく前のことになりますが、三豊市立財田保育所のもちつき大会へ、松本ゼミ4年生2名/大学院生2名でお邪魔してきました。






 街育ちの私は、もちつきが年末の行事だ、と知ったのは、恥ずかしながら大人になってからだったような気がします。
 季節を感じられる行事が、すぐ手の届くところにあるかけがえのなさを改めて感じた一日でした。財田保育所の先生方、ライオンズクラブのみなさま、貴重な機会をありがとうございました。

 本年もあとひといきとなりました。
 みなさま、よい年をお迎えください。
 ひとりでも多くの子どもたちにとって、来年がよき未来となりますように。

12/15/2014

“話し合って決める”土壌をつくる(松本)

 保育内容の指導法(言葉)と(人間関係)の授業では、いずれも保育実践記録を読みとき、ディスカッションする時間を大切にしています。
 先日の「言葉」の授業では、以前このBlogでも取り上げた、『現代と保育』(ひとなる書房)87号掲載の、香川県高松市・こぶし花園保育園5歳児クラスの実践をみんなで読み合わせ、議論を深めました。

 自分のことも、友だちのことも大切に思えるような人間になってほしいという願いから、どの子もが安心して発言できるクラスづくりを試みてきたこの実践のキーワードは「信頼」と「一手間」。
 守らせたい規範や結論をダイレクトに伝える働きかけは、一般に、子どもが自ら考え、行動するチャンスを奪うことと結びつきがちです。
 いっぽうで、何もないところから子どもが自ら考えはじめるわけではない。それは、子どもが考えたくなる魅力的な問いを、わざわざ一手間かけて準備してくれる大人がそばにいて、はじめて成り立つものでしょう。

 障害をもつ子どもたちと「対等」に勝負してみる、おなかがすいた子どもたちの人数より一つ少ない「かき揚げ」を前に、どうするべきか思い悩む……。一手間かけることで立ち現れた「問い」と向き合い、考え合った結果は、大人にとって望ましいものになるとは限りません。しかしながら、そのようなプロセスも含めて「信頼」されるまなざしがあって、はじめてヒトは安心して表現するきっかけを得られるのだろうと思います。

 「楽しかったことは忘れるけど、びっくりしたことは心に残るんだよね」
 この保育実践を経験した子どもが、数年後に発したひとことです。

 「熟議」のツールが多々開発されつつあるいっぽうで、他を圧するような言葉がヒトを惹きつけるこの時代、“話し合って決める”ための土壌をいかに耕し、つくりあげるか。それが一定の時間を経てはじめて立ち上がることを自覚し、そのような経験を子どもたちに保障する覚悟が問われているのは、私たち大人なのでしょう。


11/17/2014

一歳児に「楽しみにする」心を育む ──保育室と給食室の協働で実現した取り組みから(松本)

雑誌『現代と保育』(ひとなる書房)は、まもなく最新号(90号)が発売になると思いますが、現在、書店等に置かれている号(89号:7月刊行)には、表題のタイトルで連載記事を書かせていただきました。

登場するのは、愛知・第一そだち保育園の、0/1歳児混合クラス。
おやつの後、何気ないきっかけで始まった「お手伝い当番」と称される、みんなのオヤツを給食室に取りに行き運んでくる取り組みを、担任保育者そして給食職員が、それぞれの立場から振り返っています。

国際的にも一歩先んじている実践である、わが国の保育所給食。その魅力は、単に「おいしく、温かい食を提供する」ことにとどまらないものです。

もちろん、そのような食そのものについての魅力をも含みこみながら、自ずと心惹かれる“食”を介することで、さまざまな他者とのやりとりがより広がる、記憶の力がめばえ始めるこの時期に「自分で思って自分で決める」きっかけが期待感と共に提供される、
などなど、乳幼児期の子どもたちにとって、その力は食を越えた部分でこそより発揮されることを、この実践は私たちに教えてくれるように思います。

子どもたちのそばにいて、担任とは別の立場から専門性を発揮してくれる給食職員は、子どもたちにとって、小中学校でたとえていえば、「保健の先生」=養護教諭のような存在かもしれません。

そばにいてくれるからこそ、何気なく見守ってくれる、遠くから支えてくれる……。施設内厨房だからこそ発揮される給食職員の力は、目の前のヒトに期待し、共感し、それを介して学んでいく時期である乳幼児の生活を豊かにするうえで、かけがえのないものだといえるでしょう。

11/07/2014

河本ふじ江先生講演会@香川大学(松本)

11/29 9:30- 香川大学にて、河本ふじ江先生を招いての講演会を開催します。
内容は、保育と子どものこれまで・これから。

1959年。5,000余人の生命を奪った伊勢湾台風。
子どもたちは、そして大人たちはそこからどのように立ち上がり、前に進んできたのか。
保育はそれを、どのように支えてきたのか。

性別によらず、働きたいと望むヒトが分け隔てなくその機会を得られるように。
どのような境遇にある子どもたちにも、等しく豊かな保育の機会が保障されるように。

保育や子ども、子育ての難しさが語られることの多い昨今ですが、道を切り拓いてきた先達のお話に、明日、そしてあさってへの元気をもらいに行きませんか?

「人間にとって、一番大切なものは命」
保育を志す学生や、若手保育者に向けた話としてお願いしてありますが、歯切れのよいメッセージは、子どもや保育、子育てに関わる多くの方の心に響くこと請け合いです!



10/26/2014

2014.10.23ゼミ


松本ゼミ3年生のゆうなです。今回のゼミでは前回に続き、3年生の卒業論文のテーマについてでした!

さちえは『子どもが集団の中で安心して自己を発揮すること』について考えていたのですが、幼稚園実習を終え、遊びに入ろうとしない子たちも巻き込まれる遊びやまわりの友だちとの関わりについても興味を持ったそうです。

そこでさちえの発表の中に出てきた『ダンプえんちょうやっつけた』という絵本を全員で読んでみることにしました。
絵本の中に出てくるさくらはいつも「こわいんだもーん」と言うので、よわむしだと思われていました。しかし、ダンプ園長とくじらぐみのみんなでかいぞくごっこをしていく中で、さくらはかいぞくの子になることでどんどん強くなっていきます。
さくらの気持ちが少しずつ変化していく様子や、最後に崖から飛び降りる姿には思わず涙が出そうになりました。

この絵本の舞台となったわらしこ保育園の他の実践についても『天には憧れ地には絆を』という本をもとに発表してくれました。竹とんぼの実践では、ただ飛ばして遊ぶのではなく、2人組で向き合って同時に飛ばすという遊び方をしていました。2人で同時に飛ばすことで、自分だけではなく相手も見ながら飛ばしたり、キャッチしてもらえることの楽しさを感じたりできるような、友だちとの関わりを意識できる環境を先生は意図的に作り上げていたのだなと考えました。

ただなんとなく遊びやおもちゃを用意するのではなく、「何のためにこの活動をするのか」「このおもちゃは何のために用意しているのか」というように何事にもねらいをもつということが大切だなということをみんなで考えました。
「ねらいをもつ」ということは当たり前のことのように思いますが、子どもたちに何を感じてほしいのか、どんなことを経験してほしいのか、それをどんな活動を通して伝えていくのか、考えれば考えるほど深くて難しい…と感じました。

私も遊びの中での子どもたちのイメージの共有の仕方やコミュニケーションについて興味があるので、今回のゼミでの友だちとの関わりについての話や巻き込まれていく遊びについての話は、これから自分の卒業論文を考えていく中でも繋がってくるのかなと思います。

みんなが様々なテーマで卒業論文について考えていますが、このように全員で意見を交換して考えを深めていくことで、自分にはなかった考えを知ることができたり、今までの考えをより広げることができるような気がします。
これからもゼミを通してもっと自分の中でしっかりした考えを持っていけるように頑張っていきたいです。




10/10/2014

2014.10.9ゼミ

松本ゼミ4年生のまいまいです。
10月9日のゼミは3年生の卒業論文のテーマについてでした!

ゆうなは子供たちの空想の世界について考えています。
幼稚園実習では女の子3人との魔女ごっこや男の子とのサバイバルごっこを経験したと言う話をしました。
魔女ごっこでは子ども同士が共通したイメージを持っていましたが、サバイバルごっこではうまく共有ができなかった場面が見られました。
ごっこ遊びでは子供たちは完全になりきっているのではなく“違う自分になる”ことを喜んでいるのではないでしょうか。
この点は私が研究しているファンタジー遊びと似ていると思います。
子ども同士はどのようにストーリーやイメージを共有しているのかということについて気になっているようです。

しおりは食べたがらない子に対してどのように関わればいいのかについて考えています。
お弁当は保育内である程度融通がききますが、その子の好きなもの・食べられるものしか入っていなかったり、同じものではないので感想の共有がしにくかったりします。
給食はみんなが同じものを食べるので共感性が高いといえます。
食育は食の視点だけではなく様々なことが関連していることに注意しなければならないことを確認しました。
このように食にこだわらない食育に焦点を当てていくようです。

これから3年生の卒業論文のテーマがどうなるのかとても楽しみです。
4年生も3年生の時にテーマ決めに悩んだので、3年生もしっかり悩みながら自分たちの素敵なテーマを決めてほしいです。
3年生が頑張っている姿を見て私たち4年生ももっと研究を頑張ろうと思いました。
このようにゼミの時間で様々なことを考えていき、自分たちの力にしていきたいです。
以上10月9日のゼミの報告でした。

まいまい

10/07/2014

2014.10.02 ゼミ

松本ゼミの最年長!
大学院1年生のやまのべです。

2日は、後期に入ってから
初めてのゼミがありました。
3年生や4年生が実習や採用試験
を終えて、またひとつ大きくなって
いました。とても誇らしいです。

そして、今日のゼミの本題は、
4年生の卒論について!

さやかは、乳児の人見知りについて
研究をしています。
今日は、主に観察実験の仕方に
ついて話し合いました。

観察をするときに気をつけなければ
ならないと感じたことは、二者関係
の間だけで、ものを考えてはいけない
ということです。

例えば、乳児の人見知り傾向を
調べるために
少し離れたところから実験者が
「おいでっ!」と声をかけた際の
反応を確認するという実験をしたとき

乳児が実験者に近づくという反応を
示したとします。

このような反応から、単純に
乳児の人見知り傾向は低いと
判断することもできます。

しかし、この実験をした際に
近くに安心できる大人がいるか
どうか、実験者と乳児の母親との
関係がどうなのかということは
乳児の反応に大きな影響を与える
のではないでしょうか。
乳児が実験者に近づくという反応
の背景には、母親という第三者の
存在が隠れている場合もあります。

このように観察実験は三者関係を
踏まえた上で行わなければならない
ということを確認しました。


まいまいは、ファンタジー遊び
についての研究をしています。
今日は、主に
「ボクらはへなそうる探検隊」
という題材をもとにファンタジー遊び
についての考えを深め、観察の方向性
を話し合いました。

3年生からは、ファンタジー遊び
は、謎や分からないことが多くある
からこその面白さがあったり

保育者自身がファンタジー遊びを
楽しんでいることがポイントなの
ではないかという意見がありました。

2人の研究が今後どう進んでいくのか
とてもたのしみです。


私が最近、授業やゼミの時間に
感じていることは、
幼児期は初等教育に向けての
準備段階としてあるものでは
ないということです。

かけがえのない幼児期は、
幼児期そのもののために
あるのだと感じます。

さらに、このように
保育について
子どもについて
腹を割って話せる先生や後輩が
いることを、幸せに感じました。
このような、時間を大切に
していきたいです。

以上、10月2日のゼミの報告
でした!!!

やまのべ

8/31/2014

小さなこどもの観覧日 ふたたび(松本・常田・松井)

 先週、8/25のことになりますが、香川県立ミュージアムでの特別展『美術は友だちーミュージアム大コレクション展』における企画として、『小さなこどもの観覧日』を休館日を利用して開催しました。

 古美術をテーマに開催した昨年10月に引き続き、県立ミュージアムと大学、地域NPO法人とのコラボレーションで準備を進めた今回、乳幼児350名に加え、保護者や引率保育者のみなさんを合わせ、500名を越える方々に来館して、楽しんでいただきました。
 関係する全ての皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

 『美術は友だち』
  友だちとは、誰かに強く勧められたから仲良くするのではなく、ちょっとしたきっかけから、気づけば一緒に過ごし、楽しみたくなる……。そして久しぶりに出会っても、しぜんと繋がれる。
  有名だから、貴重だから見せなくては、ではない、子どもたちが思わず心ひかれるであろう、ちょっとしたしかけを土台にした今回の鑑賞経験が、あさっての社会をつくる礎となる、子どもたちの主体的な思考とふるまいへと結びついていくよう、これからも取り組みを継続していきます。

 詳細は今後に譲りますが、とりあえずの報告でした。
#当日の様子について、四国新聞、NHK他に紹介いただきました。






8/10/2014

“明日”そして“あさって”(松本)

先週末は全国保育団体合同研究集会の基礎講座で福岡にて、昨日は山形県民間立保育園協会の講演で、山形市にて、どちら主に0〜2歳児の発達と保育の話をしてきました。
いずれのタイトルにも、保育での「今」の手立てを考えるにあたり、“明日”と“あさって”というキーワードをタイトルに含めたのですが、時間的に十分に話しきれなかったので、ここで少し補足したいと思います。

「明日」とは、予測できる、近い未来のことをさします。
今はまだできないけれど、明日の姿を願って、子どもに働きかけていく。保育や教育の中で、ごくあたりまえのふるまいといえるかもしれません。

いっぽう「あさって」とは、まだはっきりとみえないけれど、いつか訪れるだろう、少し先の未来のことをさします。
明確に目標を思い描き、それを先取りして、そのために効果的な手立てとして組み立てられるのが「明日」に向けたそれだとすれば、いっけん無駄のようにも思えるけれど、まずはやってみることで、その先に立ち上がる何かを味わっていこうとするふるまいが、「あさって」に向けたそれにあてはまるでしょう。

これから起きうることは予測できるか、というのは難しい問いですが、一般にある程度予測することは可能だと思うのです。そのための準備は、多くの場合役に立つはずです。
しかし一方で、時にヒトは、十分に予測していなかった状況にぶつかることがあります。
そのときにヒトは、どのようにふるまうことができるのか。
これまでの予測と積み重ねから、右に進むことを練習してきたヒトが、予想外の状況を前にして、とっさの判断で左に進めるためには、「明日」のためだけではなく「あさって」に向けた時間を、これまでの人生の中でどれだけ費やしてきたかが鍵になるように感じます。

いろいろなことがわかってきて、「秘境」や「わからないこと」が既にないようにも思える現代社会ですが、実際にヒトが社会で生きていく上では、どうしてよいかよくわからない、答えのない状況に置かれることもままあるでしょう。

「明日」だけでなく、「あさって」へのまなざしを、それまでにどれだけ育まれてきたか。
答えのない状況における、しなやかなふるまいの土台をつくるのも、公教育(保育)に課せられた重要な役割だろうと思うのです。

この問題はなかなか難しいので、いずれ続編を書こうと思いますが、とりあえず。


8/08/2014

ごっこから本気へ、本気からごっこへ(松本)

2〜3歳の子どもたちの遊ぶ様子を見ていると、時にそれが「ごっこ」なのか「本気のふるまい」なのか区別し難い場面に多々出会います。

石鹸を使って泡遊びに夢中の子どもたち。そこから始まったおせんたく。

洗濯ごっこなのか、はたまた本気の洗濯なのか……

あれ、お風呂ごっこだったはずが、いつのまにか本気のお風呂みたいに……

お手伝いのはずの茶碗洗い。でもこれって単なる遊び……!?


でも、改めて2〜3歳児の視点から考えてみれば、そのような問い自体がもしかして、意味をなさないものなのかもしれません。

子どもたちにとってそれは遊びでもあり、同時に本気でもある。

両者が思った以上に一体的であり、その間を自由に行き来できること自体が、この時期ならではの発達特徴だといえるでしょう。


ここからは、この時期の子どもにとって課題とされる生活の自立が、遊びと不可分な形で展開されていくことが見えてきます。

子どもたちは自分で着替えられる、食べられる、排泄ができる……を目指して日々過ごしているのではなく、ただただ、目の前の活動を、大好きな大人と友だちとの間で楽しみたい思いで日々を重ねている……。

その結果として「自立」が達成されるという事実を、私たち大人は忘れないでいたいものです。



6/04/2014

教材研究@ゼミ(松本)

本日のゼミにて。米粉ねんど。
まずは手を動かしつつ、わかっていくことも多々あります!




5/11/2014

保幼小連携から考える公教育/保育の役割(松本)

 少し時間が経ってしまいましたが、雑誌『現代と保育』(ひとなる書房)の最新号(88号:3月刊行)に、『5歳児も小学生もわくわくする保幼小接続を目指して』のタイトルで連載原稿を書きました。
 登場するのは香川県丸亀市立富熊保育所と富熊小学校。
 扉付きフェンスを隔てて隣にある両者が、1年にわたってさまざまな年齢・学年同士で交流を重ねた記録です。当ブログでも、昨年7月の記事にて、合同ピザクッキングのエピソードを紹介させていただきました。

 いわゆる就学前教育の場である保育所や幼稚園と、義務教育の開始期である小学校との間において、近年、両者の連携/接続の重要性が強調されることが増えています。そのときのキーワードとしてよくあげられるのは「円滑」や「段差をなくす」というもの。保育所や幼稚園から、小学校へ。学習内容はもちろん、生活面でもかなり大きな変化を伴う両者の間が、文字通り滑らかに通じていくことは、なんだか理想的な方向であるようにも聞こえます。
 いっぽうで、教科教育を中心とする小学校以降の教育実践と、遊びを中心とする総合的指導の保育実践に代表されるように、両者の間にはそもそも、なぜ制度の面や、学びの支えようの違いが大きいのでしょうか。そこからは、子ども自身の発達特徴をはじめとして、今のような対照的ともみえるシステムがつくられ、それなりの時間が積み重ねられてきたことには、何らかの必然性と、社会における意味があると読み取ることができます。

 義務教育である小学校は、社会の縮図でもあります。
 授業が好きな子もいれば、休み時間と給食に全力投球!の子もいるのが、よくあるしぜんな姿ではないでしょうか。
 
 近年あちこちで耳にする「社会」や「地域」というキーワード。それはすなわち、いろいろな人がいる場について考える、ということでもあります。それを包摂する場に求められるのは、ある、単一のやりかたや価値観に人々をまとめていく試みではなく、できるだけ多くの人が手応えを感じられる、多様なアプローチを準備することなのだと思います。
 生涯発達のどこかの時期で、誰もが何らかの手応えを感じられるように。
 私たちの社会と、未来をつくる、という視点からみたとき、“公”教育/保育の大切な役割は、そんなかたちで位置づけることができるでしょう。

 今回の実践からは、保育所の先生方と小学校の先生方が、互いの良さを尊重し、信頼し合いながら、それぞれの子どもたちを支えていくさまを学ぶことができます。
 一緒にする、とは、単に共通のものさしをつくることではなく、共通するねがいを、それぞれのよさを最大限に活かして実現できる方法を考え、実践すること。
 「日常」と「非日常」をキーワードに読み解くことができる、そんなちょっぴり素敵な「保幼—小連携」のありように興味を持たれたみなさん、よろしければぜひ、お読みいただけると嬉しいです!

 富熊保育所・小学校、丸亀市幼・小・保連絡研究協議会のみなさま。
 素敵な機会をいただき、ありがとうございました。今後の展開を楽しみにしております。

3/26/2014

給食のチカラ(松本)

 研究上のちょっとした必要があり、このところイギリスの保育・初等教育について、少し遡りつつ調べています。
 そんな中で何度か出会ったのは、表題の話。
 イギリスの給食制度 school mealsは、35年ほど前までは、伝統食も提供されるとても充実したものだったそうです。(ちなみに無償)
 それが、教育改革が叫ばれ始めたのを境に、予算削減の一環として民営化が行われます。最も低コストで受注できるのは、たいていの場合、グローバル展開している大規模ケータリングサービスの関連企業等。その結果提供されたのは『塩気の多いフライドポテト、ぐずぐずのグリンピース、ケチャップの塗りたくられた灰色のチキンソーセージ……』(ウェンディ・ウォラス(藤本卓訳)『あきらめない教師達のリアル:ロンドン都市裏、公立小学校の日々』太郎次郎社エディタス より)
 生活の基盤である「食べること」の、このような状況に疑問を抱いた人たちが声をあげ、ここ10年ほどは、徐々に改善が図られているようです。
 ご存じの方も多いのかもしれませんが(私は最近初めて知りました……)現地在住の小学生の手によって始まった、給食紹介ブログ NeverSeconds(=おかわりせんよ!)が興味深い&面白いです。最初の方のプレートの写真が衝撃!

 いま、日本でも保育制度改革が叫ばれ、議論が進められる中で、給食室のありようや外部委託問題等が話題になっています。
 生活格差や食経験の多様化が繰り返し指摘される現在、誰もに平等であるはずの保育・公教育における「給食」を、これからどんな存在として位置づけ、考えていくか。イギリスをはじめとする他国の歴史は、「グローバル化」という単一のものさしを使った「改革」により変化をもたらすことの容易さと、一度失ったプロセスを取り戻すことの困難さを、私たちに教えてくれているのかもしれません。

 五感を介して現れる「食」は、ヒトを自ずと前のめりにさせる力をもつもの。
 一緒に食べる誰かがいるからこそ、それはさらにおいしくなり、嬉しくなり、楽しくなる。
 人生のスタートとしての乳幼児期を、全ての子どもたちが豊かに踏み出せるように、保育の魅力をつくり、子どもたちの生活の基盤となる給食を、これからも大切に位置づけ、育んでいきたいものです。
 その要が、乳幼児と保護者のすぐそばにある、給食室の存在ではないでしょうか。

3/02/2014

切り替えるための時間と、それを支えてくれる仲間と(松本)

  気づけばまた3月。
  毎年恒例の、第一そだち保育園/第二そだち保育園(愛知県春日井市)の、1年の保育のまとめ会にお邪魔してきました。

  第一そだち保育園での議論は、1歳児の月齢大クラスについて。
  1歳半を過ぎて表象の世界に入り、徐々に生活の見通しが深まっていく。
  それは同時に、いろいろなことを覚えていられる、という記憶の世界に子どもが足を踏み入れたということでもあります。
  自我のめばえに記憶が加わりゆく2歳台。子どもの「自分で思ったことを、やってみたい」思いは自ずと強まっていくことでしょう。それは時に、生活場面などでの行動の切り替えの難しさとして現れるかもしれません。

  発達したからこそめばえる、自己主張やこだわり。
  いっぽうでこの時期は表象の深まりに伴って、支えてくれる大人の自分とは異なる思いに気づく土台ができてきます。とはいえ、だからすなわちうまくふるまえる、とは限らないのがヒトらしさです。
  時にはむしろ、支えてくれる大人のメッセージの正しさに気づき始めるからこそ、すぐにそれに従って切り替えにくいこともあるのでしょう。

  とある保育所でのできごとです。
  園庭に出て、3輪車で遊びたかった2歳半のみすずちゃん。
  数の限られている3輪車は既にみんなに使われていて、大泣きしてしまいました。
  保育者が丁寧に思いを聞き、声をかけてなぐさめようとしますが、遊びたかった思いはそう簡単におさまりません。

  そこにふと現れた、同じクラスで3歳になったばかりのひかりちゃん。
  「ミスズチャン、ダイジョウブ。ヒカリチャンガ、イッショニサガシテアゲルカラネ」と声をかけ、園舎の向こうにある倉庫に探しに行きました。
  3輪車は全て園庭に出ているので、あるはずはないのですが……。

  「ナイネー」「ナイネ」
  見えない倉庫の前で、きっとそんな言葉を交わしていたのでしょうか。
  しばらくして戻ってきた2人。みすずちゃんの顔から涙はすっかりひいて、いつもの笑顔が戻っていました。

  すぐにはできなくとも、支えてくれる仲間と、切り替えるための時間が準備されることで、子どもは少し前に進んでいける。
  そんな子ども同士の関係との時間を十分に保障する部分にこそ、乳児保育の専門性があるように思います。
  そんなことを改めて考えさせられた、まとめ会での議論でした。先生方に感謝です!




2/03/2014

思いを分かち合う一歩としての乳児期(松本)

 「子どもとつくる0歳児保育」(ひとなる書房)を一緒に執筆させていただいた愛知県春日井市・第一そだち保育園へ、ずっと出かけたいと念願していた「節分」を見に足を運びました。
 0,1歳児だけの乳児専門の保育所。
 0,1歳児に行事?! しかも節分?! と不思議に思う方も多いかもしれませんが、節分は、第一そだち保育園がその積み重ねてきた歴史の中で、とても大切にしてきた行事でもあります。

 合言葉は「怖いだけの行事にはしたくない!」
 いつもとちょっぴり異なる場面を前に、みんなで心動かせる行事に、との思いで、職員間で何度も話し合いを重ねます。そして今年は、子どもたちの大好きなゆかりおにぎりを、給食でおなじみのお櫃から出し、子どもたちの前で握って食べる鬼が登場、という展開に。
 園庭につながる外階段でのおにぎりパフォーマンスの後、1歳児クラス&0歳前半児クラスには直接登場!
 柊と鰯に撃退されたり、みんなの豆まきで逃げていく、おなじみの姿も味わえます。
 ご飯に見たてた綿が、手袋の静電気でうまく握れない!という予想外のハプニングもあったけれど、後に落ちていた綿のかけらを見つけた1歳児たち、オニサン、タベテタ! パラパラシタネ!と思い出しながら話していました。
 その日の給食は、おにぎり。そしてオヤツは、かわいい鬼のホットケーキでした。 

 一緒にさがし、一緒にのぞいて、一緒におどろき、一緒に豆を投げ、そして一緒に安堵する……
 ドキドキ感も、喜びも、こうやって誰かと分かち合える人生を、温かい大人たちのまなざしの下でスタートできる子どもたちの幸せさを、改めて感じた一日でした。
 そんな時間を、できるだけ多くの子どもたちにプレゼントしたいものです。
 そのための仕事を、これからも積み重ねていきたいと思います。