木曜日, 9月 13, 2012

心理学は「答え」を提供するのか?(松本)

 少し前ですが、悩みながらとある論文を書いていました。
 特集号に与えられたお題は「実践に『役立つ』心理学の専門性」という、少しやっかいなものです。

 「現場での問題解決」に役立つ研究には限界がある、というのは、心理学に関係なくよく言われます。それは、どんな研究でもそうですが、研究は何らかの社会背景、利害関係という文脈を背負って成り立つものだからです。「より強力な兵器を開発するための研究」 と戦争とを切り離すことができない、などが、わかりやすい例でしょうか。
 もっと身近な、心理学に近い例、たとえば「『小1プロブレム』を解決するための研究」の例で考えてみます。これは一見「役に立つ」ようにも思えます。
 ですが、この研究からは「そもそも『小1プロブレム』という視点から1年生の姿を記述すること自体が、1年生のある側面(例:かわいらしい姿)を見えなくさせているのではないか?」と問うことができません。その問題の成り立つ基盤を問えない点が、問題解決研究の限界、というわけです。

 では、「現場での問題解決」でなければ、心理学に何ができるのか。
 次に考えられるのは「問い直し」ということかもしれません。
 先の例を再び引けば、「『小1プロブレム』とよく耳にするが、それは本当に増加しているのか:それは“そう見ようとする”側の信念に過ぎないのでは?」という感じでしょうか。
 データという裏付けをもって、実践現場にこういった“正しい”問い直しをしていくことは、学問の大切な役割の一つにちがいありません。

 ただし、このときに一つ、気になることがあります。
 それは、 「正しい指摘」がヒトに力を与えるのかどうか、ということです。

 正しく指摘されることで、ああそうか、と間違いに気づき、自分のモノの見方を昨日までと変えていける。そういう方ももちろんいると思いますし、それ自体は大切なことでしょう。
 とはいえ、正しすぎる指摘に、へこんだり、反発したりするのも、またヒトらしさかもしれません。相手の指摘の正しさをうすうす感じているからこそ、葛藤したり、素直になれないこともあるかなと思うのです。恥ずかしながら、自らの生活を省みても、そういうこともあるかな、と。

 「実践に『役立つ』心理学の専門性」というお題を考えてきたのでした。
 このとき、実践の現場で日々の営みを担うのは、心理学者ではなく、現場にいる一人ひとりの先生方です。
 そう考えると、心理学の役割は、学術的なバックグラウンドから“正しさ”をただ単に供給することではなく、そこでの問い直しを、実践の現場で日々奮闘している方々の「もっとやってみたい/工夫してみたい」という気持ちの背中を押すこととを結びつけられているかがポイントではないかと思います。

 「問題解決」型と「問い直し」型は、その水準は異なりますが、“答え”を実践現場に供給しているという点において共通していると感じます。
 “答え”ではなく、希望をもってもっと考えたくなる/もっと子どもの面白い姿を見たくなるような、「良質の問い」を提起すること、そのための裏付けとなる研究を進めることが、「実践に『役立つ』心理学の専門性」ではないかと考えています。(心理学に限らず、学問一般に言えることかもしれません)

……という内容を書いたものが、以下の論文です。
雑誌「心理科学」に掲載され、12月に刊行の予定です。
学術論文ですが、 ご関心があれば、お読みいただけると嬉しいです。



松本博雄 2012 実践に「役立つ」心理学の専門性とは? ―「答え」を超え「良質の問い」の創造へ  心理科学, 33(2), 印刷中.

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