13.5.18

教わる・教える(松本)

あれこれ取り組んでいるうちに、あっという間に週末に。
前回の中学生編に続いて、今回は小学生編その1を書いてみます。

小学校(Primary school)は6年生まで。始まりは9月です。
日本で3年生を終えた次女は、いきなり5年生に。
4-8月生まれの子にとっては、学年の数字は1年半早く始まる、ということになります。

次女の英語力は、アルファベットは書ける、簡単な挨拶と、apple!のような日本でもなじみのある単語をちょっぴり知っている、という程度。日本では3年生でローマ字学習を終えるので、学年相応、という感じです。
まずは可愛い制服と靴にテンションが上がり(ちなみに、制服はそのへんのスーパーに売っています。日本に比べてとても安価!)、元気に通い始めました。
語学力を思えば、どう考えても学校ではわからないことばかりのはずですが、先生や友達の話すことばは「わからないけど、わかる」とのこと。なんか深い。。。

そんな彼女のクラスで、最近流行り始めているのは日本語。
お母さんが日本人の隣のクラスの友だちと、彼女の2人が先生役として、クラスのみんなに日本語を教える機会を担任の先生が作ってくれたそうです。
初日のクラス見学の折には、私たちの顔を見て「你好」と挨拶してくれた子どもたちも、すっかり「コニチワ」と言えるようになってきました。もちろん、担任の先生も一人の生徒として。

その週末、次女は嬉しそうに優勝カップを持って帰ってきました。
聞けば、その週、学年で一番頑張った子どもとして表彰された、と言います。
ところが、何で表彰されたのかは、本人もよくわからず。。。
友達と毎日Monky bars(=うんてい)を、マメをつくるほど楽しんでいたことは確かですが、通常の授業は???なのに。。。
日本にいるときから、なぜかトロフィーに異様に憧れを抱いていた本人は、思わぬ出来事にテンションがまた一気に上がったようです。

みんなに日本語を教えたことと表彰の関係は、まだ、先生に直接話を聞く機会を持てていないのでよくわかりません。
いずれにせよ、学校生活の中で手を引かれ、導かれる機会が多くならざるを得なかった彼女が、教える立場にまわれたことの意味は、その時間はもちろん、学校生活全般に大きく影響したのではないかと想像します。

見つめられ、先回りされ、手を引かれる側から、相手を見つめて、先回りして手を引く側へ。
私たちは、特別な配慮を必要とする子どもに対し、その子の生活や学びを支えるような援助だけでなく、その子自身が他者を支えたい願いを実現する機会を提供できているか。

まだ言葉にはできない願いが汲み取られ、みんなに教える機会が整えられたこと、その姿がみんなに認めたられたことは、彼女にとっても、まわりのみんなにとっても、一つの転機になったのかもしれません。



6.5.18

Beyond expectation(松本)

子どもたちが学校に行き始めて、ちょうど2週間。
こちらの学校は、公立でも学区制ではなく、選択制なので自分で探す必要があります。
定員を上回っていれば入学を許可してくれないこと、渡英してまもなくイースター休暇に入ったこともあり、巡り会うまでに少し時間がかかりましたが、無事見つかって一安心です。
それぞれの学校の様子について、大きい順に書きたいと思います。

長女は、7年生として中学校(Secondary school)へ。
少し離れている場所へ、徒歩とバスで通います。
Secondary schoolにはいくつかの種類がありますが、基本的には中学と高校は一緒で、7年生から13年生までは同じ学校に通うことになります。
公設の中学校は、試験を受けて入るGrammer Schoolと、無試験で入れるState Schoolの2種類があり、当然ですが彼女の学校は後者になります。
ルーツや家庭等、さまざまな子がおり、何というか少しがっちゃりした!?雰囲気です。

学校の雰囲気は、高校のよう。子どもたちはHouseという異年齢クラスに所属しますが、授業は学年毎に、それぞれ専門の教室を訪れて受けることになります。ロッカーはないので、基本荷物を持ち歩いて移動します。食堂ももちろんあります。
スマートフォンはむしろ、生徒が学校からの連絡等を受けるアイテムとして有意義に活用されているようです。(もちろん、持っていない子どももいるようですが)

長女の英語力は、日本で教育を受けた年齢相応。
思春期に入り、言いたいことも言えないのでは、プラス一人で通わねばということで、始まる前は最も心配していたのですが、今のところ毎日とても楽しく通っているようで一安心。
学校で(先生も含め)みんなお菓子を食べまくっている!とか、クラスマッチ?の表彰式が音楽も盛大にかけて、生徒も先生も盛り上がってすごい!とか、金曜日の盛り上がりが異常!とか(週末に塾や部活に追われないから!?)、日々発見があるとのこと。
学校で唯一の日本人ですが、名前を覚えきれないみんなも含め、たくさんの仲間が声をかけてくれる環境を楽しんでいるようです。

そのように、日本と違う環境に強く印象を受けながらも、実は最初に彼女が話していたのは、いろいろな子どもがいる学校でのみんなの雰囲気が、自分の小学校に似ていて安心した!ということでした。
これまでの保育園、小学校、そしてときどき大学に出入りする生活で、さまざまな人に出会ってこられたのが活きているのか。。。

Beyoud expectation.
子どもは大人の予想を容易に越えていく存在であることを、改めて子どもから教えてもらう毎日です。




29.4.18

大学にて(松本)

Canterburyに引っ越してきて、はや1ヶ月。
大学での活動が本格的に始まって、2週間が経ちました。
最初の1週間では、職場環境を整えながら、いろいろな人に会ったり、会議に出たり。
2週目はちょこちょこ人に会ったりする合間に、日本の仕事の〆切がまとめて来たり、子どもたちの学校の準備や手続きをしたりで今に至ります。

今の所属はResearch Centre for Children, Families and Communitiesという研究所なので、数人の大学院生をのぞいて基本的に学生はいません。考えてみれば、仕事を始めて17年目で研究所に所属するのは初めて。イギリスの大学で会議に出たりするのももちろん初めて!
あれこれ新鮮すぎる中で、印象に残ったことは多々あるのですが、この間で特によい経験になったのは、出会った中の一人の先生とのご縁で、教育学部のPost Graduate(制度上は大学院ですが、基本的には4年生)の授業に飛び入りする機会を得たことです。

30人ほどの学生が履修しているその授業では、それぞれがこれから実践現場で行う研究計画をまとめながら、倫理上の配慮点について書く、という課題が出ていました。なぜだか流れ上、ちょこちょこ論文指導っぽく脇からコメントしつつ見せてもらった彼女たちの研究計画は……

・図書館を介した読み聞かせ(Book sharing)への働きかけとと親子のやりとりの質の変化
・わらべ歌(Nursery rhymes)とSocial relationshipsの発達
・保育園内のコーナーを活用した、自分の気持ちに関する表現力を豊かにする取り組み
・ままごと遊びと社会性の発達

等々、日本の4年生たちが考えるものと、思った以上に興味関心も枠組みもわりによく似ている!というのがなかなか新鮮でした。

こちらの大学のシステムは、日本とはかなり異なります。
教育学部の場合、Undergraduate(学部生)は、いわゆる高校からまっすぐ上がってくるコースと、保育現場などで社会人経験を積んだ後に入るコースに分かれていて、Foundation Degreeという基礎課程が2年(年数を考えると短大相当?)、その後にBachelorという学士課程が1年、その上にPost Graduateとなっているようです。
現場で気づいたことを、自分の課題意識に合わせたコースでの学びや研究課題として深め、キャリアアップして再び現場に戻っていける制度はなかなか魅力的です。日本で自分がしてきた仕事を振り返ると、保育者研修や現場での実践研究がそれに相当するのでしょうが、職場を離れずに学ぶことと、大学等で一度職場から離れて学び合うことでは、深められる程度と蓄積の度合いが変わってくるように感じました。日本でこれまで一緒に学んできたみなさんと、こんな機会が持てたらきっと面白いと思います!

また、担当の教員は、これらそれぞれの課程で分かれているようです。日本で大学1年から修士まで授業をもっている身からすると、これまた別の意味で新鮮でした。
とはいえイギリスは、たとえば就学前施設や小学校でも、施設・学校毎に雰囲気や教育内容、学び方にかなり幅があります。大学でも同じように、大学毎にいろいろシステムは異なるのかもしれません。

違う環境に出かけているので異なる点が多いのは当たり前なのですが、この二週間で意外にも、共通する点や課題がたくさん見つけられたことは大きな収穫でした。
帰ってからのことを考えるのはまだ早い!ですが、こちらの大学の同僚も、研究のこと、学生のこと、大学運営のこと等、同じようなことに悩み、頑張っている……と考えると、帰ってからもなんだか少し元気が出そうです。



13.4.18

ことばをかけ合う(松本)

Canterburyに住み始めて、半月ほどが経ちました。
生活の基盤を一つずつ整えながらこちらでやりとりするなかで、いくつか気付かされたことがあります。

一つめは、年配者(特に女性)や子ども連れ、障がいをもつ人たちに対するさり気ない配慮をよく見ることです。例えば道のすれ違いで足を止めて待つ、交通機関の座席を譲る、荷物運びなどでさっと手を差し伸べるなど。私は一度おばあさんに軽く注意されて(恥ずかしい&ありがたい!)すっかりその習慣が身につくようになりました。
もちろん、そうでない人もいます。でも譲ったときには、相手はほぼ、笑顔と言葉で返してくれます。

二つめは、互いに声をかけ合う場面がとても多いこと。特に我が家の子どもたちは、生活の中のいたるところで話しかけられることが、日本に比べてすごく新鮮であるようです。
子どもに限らず、大人に対しても、お店、バス、郵便等の配達、その他生活の中のあらゆる場面で、あいさつプラス一言やり取りすることが、明らかに日本にいるときより多いと感じます。

三つめは、英語以外の言葉に慣れていること。
例えば私の名前 ‘Hiroo’ は、アメリカ人には「ヒルー」と発音されることが多かった気がします。(そう、‘school’ と同じ発音ということです。)
でも、こちらに来てからは、きちんと読んで(読もうとして)もらえることがほとんどです。
EU圏はビザなしで移動できることで、互いに母語が異なるのはよくあること(例えばスウェーデン語の名前を発音するのは難しい!)、また自民族の言葉が実質的な世界共通語となりながらも、それは実際には他国(アメリカ)で独自に進化した少し違う言葉であること等が影響しているのかもしれないと思います。


譲ること、言葉をかけ合うことは、その中身自体の意味ももちろんあると思うのですが、「あなたと私は敵対していませんよ」というメタメッセージを含んだものとなります。

立ち居振る舞いが基本的によく似た人で構成されるコミュニティ(日本の多く)では、声をかけ合わずとも、互いに分かり合える(気がする)、という前提でコトを進めることが可能なのかもしれません。

いっぽう、多様な出自と習慣をもつ人が含まれているコミュニティでは、相手にはっきり声をかけること、わかりやすい態度で意思を表すこと、何より互いをわかり合おうとすることは、日々の生活を安心して送る中で不可欠なことなのでしょう。

幼児期からの、言葉で自分らしく表現することへの価値づけと、それが十分でない人に対する尊重の態度が大事にされていることは、これらとつながっているかもしれません。

まだこちらに来たばかり。

日本でも東京が特殊であるように、Londonのような大都会と、地方では異なることも多いだろうと思います。引き続き考えていきたいと思います。



4.4.18

2018年度(松本)

新年度が始まりましたね。
みなさん、それぞれ新しいスタートがあると思います。

松本は本年度、イギリス・ケント州カンタベリーにある、Canterbury Christ Church Universityにて在外研究をさせていただくことになりました。
Research Centre for Children, Families and Communities という研究所のメンバー(Visiting Scholar)として、就学前教育から初等教育への移行における諸問題に、リテラシー獲得とその支援を主なキーワードとしてアプローチする予定です。
リテラシー(Literacy)とは、狭義には文字等読み書き能力のことを指しますが、広義にはことばを介して自分をどう表現するか、を含む概念です。幼児期と学童期、就学前と初等教育、イギリスと日本という軸をたてて、それぞれ相違点・共通点を重層的に捉える際に、このリテラシー観の違いが、問題を読み解き実践につなげていくうえで、一つの鍵となると考えています。

現在、こちらの大学はEaster Holidaysに入っています。
中旬からの本格的スタートに向け、まずは家族と生活の立ち上げ、研究開始の準備に奔走する日々を送っています。徐々にこちらの、曇りのち雨時々曇りのち雨そして晴れ!のような天候にも慣れてきました。

今日は子どもたちが、はじめてこちらの子どもと遊んだ記念すべき日になりました!
英語はほぼ全くわからなくても、一気に遊びに巻き込み、巻き込まれていく小学生。
きちんと話せるかではなく、ワクワクするかどうかが、コドモとコドモを結びつけていきました。






28.2.18

子どもとともにつくりあげていこうー初めての年長保育をとおして(秋山)

 失礼します。幼児教育コース3年秋山祐希です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「子どもとともにつくりあげていこうー初めての年長保育をとおして」(静岡・風の子保育園:『ちいさいなかま(全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社)』)という実践について討議し、考えたことについて書きます。

 この実践は、3年目の保育士が、初めて年長児クラスの1人担任を持ち、初めは「自分1人の力でなんとかしなきゃ」と気負っていたけれど、遊びや行事を通して、保育を子どもといっしょにつくりあげていこうとする姿勢へと変化していく過程について書かれています。

 討議は「保育者が遊びの中で子ども理解をしていく時に、大切にしたいこと、気を付けたいこと」という論点で進めました。また、年長児の実践ということで、「子ども同士が互いを理解するために保育者としてできる援助」という視点からも話し合いを行いました。

 運動会に向けてクラス全体で竹馬の活動を行っている時、この保育者は「どう心とからだを支えていこうかな」「この子はどんなことを考えているのかな、感じているのかな」と一人ひとりとじっくり向き合うことを心がけていました。そんな中、最後までなかなか乗れず、乗りたいけど乗れない、と葛藤していたAくんに対して、それまでは見られなかったまわりの子達からのアドバイスや応援がありました。この事例を受けて討議の中で、「先生が一生懸命だから、Aくんもまわりの子達もその姿を見て教え合いが生まれたのだろう。その教え合いを見た先生は『自分が教えようとしすぎなくても大丈夫だ』と思えたのだろう。」という、子どもと保育者が互いにモデルとなり、学び合いができていることへの気付きがあったことが印象的でした。

 他にも、保育者も子ども達の仲間になって一緒に遊びながら意見を引き出したり、思いを出しやすく聴きやすい関係づくりを心がけたりするという援助も考えられます。その中で子どもはどうしたいのかという主語が子どもであることや、流れをつくるという意味での主導権が子どもにある必要があることも大切だと分かりました。

 松本先生の「保育者は、導くのが仕事ではなく、遊びの中で良いところを探すのが仕事」というお言葉が印象に残っています。ねらいや意図は持った上で子ども達の遊びや関係の中に入り込み、子どもの良いところを見つけ、適宜伝えながら伸ばしていけると良いなと思いました。

26.2.18

二四人全員が出ないと光組のリレーにならない!(稲葉絵梨香)

 失礼します。小学校コース特別支援教育領域3年の稲葉絵梨香です。今回は保育内容の指導法(人間関係)の授業で、「二四人全員が出ないと光組のリレーにならない!」(京都:白い鳩保育園 ちいさいなかま〈全国保育団体連絡会/ちいさいなかま社〉540号,2010)という実践について討議し、考えたことを書きます。

 Aくんは自閉症スペクトラムで、皆より足が遅く、クラスの子は「リレーで負けるのはAくんがチームにいるから」だと思っていました。保育者は「対等の条件で遊ぶからこそおもしろい」ということを徹底しており、この時も「リレーでいっしょの力になる方法を考えよう」と皆に提案しました。保育者もどの方法がいいのか揺れながら子どもたちと一緒に意見を出し合いました。そして、皆で決めた「Aくんが1番手でスタート地点を半周先にする方法」でリレーに取り組んでいくことができました。
 数年後、小2になったAくんがリレーで走ることになります。走り切ったものの相手チームとかなり差が離れてしまいます。しかし、光組だったBくんが対等な力になるようにゴール地点でゴールをせずにもう1周走りました。ここから保育者の思いが伝わっていたことが分かります。

 この実践から「勝ち負けのあるものではできない子が責められることがある。皆が納得して活動を楽しめるようにするためにはどのような手立てができるか」について議論をしました。

 議論では、話し合うことで受け身にならず、不満が出にくいこと、保育者も子どもたちと同じ立場で意見を出し合うこと、皆で支えていけるような雰囲気づくりを普段から行うことの大切さ、説明するときに視覚的支援を行うことでどういうことが言いたいのか分かりやすくなり、納得しやすいことが分かりました。

 この中で、皆で支えていけるような雰囲気づくりを普段から行うことの大切さについて述べたいと思います。Aくんのハンデを考えた時、「Aくんだけずるい」という意見が出ることが予想されます。しかし、光組では皆が納得してリレーに取り組んでいました。光組の保育者は普段から「対等の条件で遊ぶからこそおもしろい」「競ることがおもしろい」ということを徹底して保育を行っていました。このことが子ども達がずるいと感じず、おもしろくするための手段だと捉えることにつながったのだと考えます。
 また、私は事例を読んだときに「スタート地点を半周先にすると目に見えてハンデが与えられていることが分かって、Aくんのプライドが傷つかないだろうか。」と思うところがありました。しかし、今までの授業を通して弱い自分を受け入れられる雰囲気づくりが大切だと学びました。この実践でもそのことが言えると思います。弱さを認められないと自分に対しても友達に対しても責めてしまうと思います。苦手な部分を皆で支え合っていくような雰囲気を保育者がつくっていくことが大切だと思いました。また、Aくんに対して必要なのは成功体験だと考えます。負けばかりを経験していくと自信がなくなり、楽しくもありません。いつも負けるのではなく自分の仲間と同じ力で勝負をして時に負け、時に勝つことで自尊感情が高まるのだと思いました。